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数学を学ぶこと

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UniLink利用者の80%以上は、難関大学を志望する受験生です。これまでのデータから、偏差値の高いユーザーほど毎日UniLinkアプリを起動することが分かっています。
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いみじきほね

高卒 千葉県 東北大学理学部(63)志望

受験全日程終了!東北大は前期後期共に不合格。理科ができませんでした!そして進学先は理科大の数学科です。自分の担任が、東北大大学院いけばいいじゃんとアドバイスしてくれたので、それを目標に大学生活頑張ります。自分がこのアプリを使い始めて2年ほど、色んな回答者様に助けてもらいました。本当にありがとうございました。 今回自分が質問するのは、数学を学ぶ必要性についてです。数学を通して論理的思考力が培われるとされています。つまり数学で食べない人も、これを身につけるために数学は必要とされているわけですが、受験数学及び大学数学に触れた皆さんに、それが身についたかどうか、役に立ったかどうかを聞きたいです。受験には関係ない質問なので、他の人の1枠を奪ってしまうことになるのは申し訳ないです。 以下自分の将来やりたいことを書きます。読まなくても大丈夫です。 自分は数学と教育の関係について勉強したいと考えています。元々高2秋頃までは文系(というより無系?)でしたが、数Bの授業で先生が無限級数について触れたときに、数学を学びたいと考え理転しました。またその経験を伝えたいと考え、数学教師になることを目指していました。しかし、私は子供が嫌いなので教師の夢は一旦やめて、それでも経験を伝えたいという気持ちは変わらないので、何か違う形で教育に携わろうと考えています。その第一歩として、教育の中における数学のあり方について学ぼうと思っています。
数学って何かと「こんなの必要ない」「やらなくても生きていける」と言われがちな教科だと思うんです。好き嫌いの差が大きい科目ですからね。自分の最終的な目標はこういう考えをなくすことです。まぁこれを言う人って、大体自分に必要ないと言うのを社会の総意と勘違いしてたりするので、それは論外なんですが…。これに対して自分の意見を書くと、この「やらなくても生きていける」と言うのは少し間違っていて、正しくは「やる必要のある選択肢を切り捨てた後に、残った選択肢の中から選ぶ」ってことだと思います。そりゃ必要ないって結論になりますよね。数学ができないと人権ないとかそんなわけないのに、何を当たり前のことを…。ただ一見理系っぽくない学問や職にも数学が絡んだりしますし、できるほうがいいのは事実でしょう。実際自分の友達のMARCH経済系(日本史受験)も講義で出てきた平方完成ですら詰んだとか言ってましたし。また、これは数学以外の学問にも同じことが言えます。 例えば古典は、同じようなセリフを散々言われてきたことでしょう。確かに実生活で古語や漢文でやりとりする機会はありません。しかし自分が好きな歌に「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世に何か 久しかるべき」と言う歌があるのですが、これは古語を使わない現代にも通ずる素晴らしい歌だと思います。桜は散るからこそより美しいのである、辛いこの世に変わらないものがあるだろうか(反語)。古典には他にも、秀逸な返歌や皮肉、ダジャレ(いわゆる掛詞)など面白い要素がたくさんあります。捉え方によっては必要ないなんてことはないのです。こういう文学を学べば、放送作家とか作詞家、芸人など言葉を扱う仕事には活かせるはずです。もちろん、面白いとか楽しいとかは個人の感性によるので強要はしませんし、誰もがその類の職につくわけではありません。しかし発想を転換して、文学を学ぶことで選択肢が増えると捉える方が自然かもしれません。生活の役に立たないものは必要ないと決めつけ、それを理由に遠ざけるのはなんだかなぁと思います(この気持ちを言語化できない時点で、自分には古典を語るほどの国語力はないですね)。自分は理系なので古典に関しては共テだけのにわかですが、それでも受験に必要ないことと、自分に必要ないというのは全くの別物と考えています。
また、こういう数学や古典に否定的な意見の先には「税金や金融教育、性教育などもっとやるべきことがあるのに、それを押しのけてまでやることなのか?」というのもあると思います。これは一理あります。これらの知識は必要不可欠なもので、寧ろ学校で教えなくとも自ら勝手に欲する知識です。高度な金融知識はともかく、税金や性教育は親でも教えられますしね。教育の現場は、何も学校内だけではありません。これに対し数学や古典は、学校でやらなければ積極的に学ぶものではないでしょう。加えて全ての親が十分な知識を持っているわけではないので(税金とかにも同じことが言えなくもないですが、納税は国民の義務なので…)、学校に任せるのがいいのではないかと思ってしまいます。あとこれも言語化できなくて申し訳ないのですが、金融教育や性教育などの生きるための学問と、数学などの生きる道を広げる学問が枠を争うのは違和感があります。 最近はコスパの他にタイパなんて言葉が出てきて、その観点から考えると、数学はますます遠ざけられるかもしれません。小学校から高校まで10年以上纏わりついてきたのに、人によっては見返りが無いですから。現代のトレンドに反した学問と言えるかもしれませんが、これに対してここまで必要性、すなわち見返りについて述べてきました。加えてこの論調は、色んなものを、全て自分の手柄(?)に結びつけようとしすぎではないかと思うのです。友達を作る時、最初から「こいつを踏み台にしてやろう」「自分の目標のための駒にしよう」と考えて近付く人はいないはずです(大人になるとまた違うんでしょうけど)。だから学問に対しても、初めは何かに利用してやろうとか損得は考えず、純粋な面白さを見つけ、友達を作る時の「この人と一緒にいると楽しい」とか思えたらいいんでしょうね、綺麗事ですが。仮に自分が教師になった時は、そう思ってくれるような授業が展開できるよう全力は尽くします。
ここまで数学(+巻き込まれた古典)の必要性について書いてきましたが、結果論だとしてもやっぱり必要なかったという意見も正しいです。そりゃそうです。よく言われているように、普段の生活に微積が急に割り込んだりしないですから。そういう人も、数学を直接活かせずとも、論理的思考力を培う機会として数学教育に価値を見出してほしいというわけです。その力について、私より数学ができるであろう皆さんにそれが身についたのか、役に立ってるのかを聞きたいです。加えて自分が軽く調べたところ、大学数学という現実離れしたものを学ぶと「ものを捉える力」が身につくそうです。大学数学を学ぶことによって数学の知識以外に何か手に入るなら、それが何なのか知りたいです。まぁ仮にそれがものすごく重要なものでも、全人類に大学数学を学ばせるのは酷ですが、高校までの数学ができないとスタートラインに立つという選択肢が無いですしね。 ここまで長々と書いてきましたが、その多くが質問とは無関係の自語りとなってしまいました。また、自分は争いが苦手で、こういう意見を述べる場で譲歩することが多く長い文を作りがちなので、自分の立場が何なのかあやふやになってしまったかもしれません。シンプルに国語力があんまりないので…。現役勢の友人たちが大学数学で悲鳴を上げていたので、自分もやばいかもしれないです笑。 では改めて、数学を学ぶ必要性を、回答者自身の経験をもとに教えてほしいです。よろしくお願いします。

回答

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たけなわ

北海道大学法学部

すべての回答者は、学生証などを使用してUniLinkによって審査された東大・京大・慶應・早稲田・一橋・東工大・旧帝大のいずれかに所属する現役難関大生です。加えて、実際の回答をUniLinkが確認して一定の水準をクリアした合格者だけが登録できる仕組みとなっています。
私もよくわかりません。ただ、税金や金融、性教育等他に教えなければならないことがたくさんあるのは否定しませんが、かといって数学が全くの不要であるとも思えません。これらに関しては、何とも言いようがない感じがしてちともどかしいですね。まぁ、「数学を学んでよかった」と思ったことはあまりありませんが、「数学なんて学ばなければよかった」と思ったことは一度もありません。なので、今のところは、勉強したい人だけ勉強すれば良いんじゃないでしょうか。数学を勉強しなかったらしなかったでツケは自分に回ってくるし、そんなツケなんて回ってこなければそれはそれで良いわけですし。「数学なんて必要ない」とかいう言葉は、数学ができなくて逃げてしまった人たちがそれを正当化するための言い訳として言っている可能性だってあるわけですしね。 これで終わるのもアレなんで、一応、数学を学ぶ必要性があるという体で、その内容についてむりやりにですが考えてみました。興味があればどうぞ(長いのでご覚悟を)。 『「学問はそんなに勉めなくても人物が出来れば」などというは、教育を知らぬ人のいうことである。そんな人は何を人物と見るのか知らぬが、学問に対する努力は大いにその人を成す所以であることを忘れてはならぬ。知識の量だけを矢鱈に増すことは、一種の道楽で、馬が上手とか、芸があるとかいうに止まる。しかし知力を発達させて、判断がよく出来たり、識見が高くなったりすることは、人物を成す所以である。』(鈴木大拙)
先月でしたか、この言葉に出会いました。私はとても感銘を受けました。というのも、大学に入ったところで高校時代とあまり変わりませんでした。司法試験も今は予備校産業が盛んで、合格者の90%以上は予備校出身という現状です(数値高すぎ)。私は昨年の夏頃、一冊の本に出会い、一人の法学者(その本の著者)に憧れました。と同時に、世に言う「試験のための(効率的な)勉強」というものに嫌気がさして、本当に学問をするということについてあれこれ考えあぐねていました。そんな時にたまたま出会ったのが上の言葉であり、大いに教訓を得るとともに共感もしたからです。  たしかに、微積とか集合とか、実生活で全くお目にかかりませんし、入試が終わってから一度も触れていません。「数学なんて必要ない」と言いたくなる気持ちもわからないではないです。しかし、そのようなことを言う人たちは、そういった数学上の細かな知識を得ることが数学という学問の眼目なのだと勘違いしている人たちではないでしょうか。数学を学ぶ意義は、もっとマクロな次元のもので、数学を通してものの考え方を身につけることにあるのではないかと思います。  雪の研究で有名な中谷宇吉郎は、世界で初めて人工で雪の結晶を作った人です。その研究拠点(常時低音研究室)は、われらが北大にありました。彼の著書『科学と人生』にも次のようなことが書いてあります。すなわち、科学によって得るものは二つ、一つは科学上の知識であり、一つは科学的なものの見方である。より重要なのは後者の方であって、これはどの職業に就く人にもどの階級の人にも役に立つ、と。では、科学的なものの見方とは何であるかというと、①自分の周囲にあるものを、自分の目でよくみること、そして②腑に落ちないことがあれば「はてな」と疑問を持つこと、③その疑問の解決のためにいろいろ実験をしてみること、④その結果を受けて「あぁ、そうだったか」と自分が納得すること、⑤続いて「それでは」と次なる疑問を持つことであると書かれています。
果たして数学は科学であるかという問いには、人によって回答が分かれるみたいですが、科学の性質が、一つは「ある事柄について考えたり調べたりする時、その方法が同じならば、いつ・どこで・誰であったとしても、同じ答えや結果にたどり着く」という再現性に、今一つは因果関係がきちんとあるということにある(https://sci.kyoto-u.ac.jp/ja/academics/programs/scicom/2015/201602/04)というならば、数学もまた科学であると言わざるを得ません。ならば、数学を学ぶ意義は、やはり数学的なものの見方を学ぶことにあると言えるでしょう。  では、数学的なものの見方とはいったい何でしょうか。受験生時代、河合塾の『文系の数学 実戦力向上編』を使っていました。あれの最初のページ(一般的な参考書で「はじめに」に当たる部分)に、料理と数学は同じであるということが書かれています。ネットで全文読めますが、一応以下に一部抜粋しておきます。 「料理を作るためには,包丁や鍋といった道具,そしていろいろな調味料が必要です.数学の問題を解くためには,いろいろな公式や定理といった"道具"が必要です.料理をおいしく作るためには,道具を使いこなす技術が必要です.そして,どういう調味料をどのように使えば最高の味になるかを考えながら料理を仕上げていくのでしょう.数学の問題を解くためには,公式や定理を状況に応じて使いこなす技術が必要です.いくつかの解法が存在する場合には,最適な解法を選ぶ力も必要です.また,様々な問題を演習することで実戦力が磨かれ,複雑な設定の問題なども論理的に分析して解くことができます.」
要するに、重要なのは公式や定理を使いこなす技術であって、公式や定理を知っていること自体が最上なのではありません。そして、ここに書いてある内容は、先の「科学的なものの見方」にやはり通ずるものです。①問題で与えられた具体的条件をよく観ること。②「この問題に使える公式や定理は何だろうか」「どういうアプローチで進んでいけば良いだろうか」と疑問を持つこと。③そして、実際に解いてみること。そのままではどうにも扱いづらいのだったら式を変形したり図形に補助線を引いたりしてみたらどうか、使えそうな公式や定理を実際に使ってみたらどんな結果が得られるかなど、これは一種の実験と言えます。④それで解けたら解けたで良いし、解けなければ自分が納得するまで解答や解説を読む、⑤そして最後に、「今度はここをこうしたらどうなるだろうか」という次なる疑問に進むこと。類題と呼ばれるやつですね。こういった、ある問題に対する解決の糸口を導く過程が、数学的なものの見方につながるんじゃないでしょうか(まぁ、こういったことを考えた上で数学を勉強している受験生なんて、ほとんどいないのでしょうが。)  例えになっているかわかりませんが、法律学の基本中の基本事項に、「法的三段論法」というものがあります。「法的」なんて言葉が頭についているものだから、なんか専門的な感じがする。しかし、なんてことはありません。簡単には、法律の条文(大前提)を現実の具体的な事実(小前提)にあてはめて結論を出すという論法に過ぎません。私がまだ初学者である故の疑問かもしれませんが、問題で与えられた具体的条件に公式や定理を当てはめて答えを出すという、数学上の三段論法といったい何が違うのでしょうか。もちろん、法律の条文は年々改正され、また書かれている言葉の意味の捉え方も人によって異なる場合がある一方、公式や定理は常に一定不変である点で、法律学と数学とは大きく異なります。しかし、これは条文と公式・定理の性質の違いに過ぎず、三段論法という論法自体に大きな違いがあるわけではありません。だとすれば、法律上の問題も、数学的にものを考えてみれば、未学者とて全くのとりつく島もない問題というわけではないでしょう。  だから、最後に一言でまとめると、数学を学ぶ必要性は、ものの見方や考え方を学ぶことにあると思います。
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たけなわ

北海道大学法学部

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コメント(2)

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いみじきほね
4/6 0:11
回答ありがとうございました。 自分の質問は、自分が普段から思っていることをふわっとしたものを言語化した拙いものだったのですが、それに対しここまで丁寧に返して下さり凄く嬉しいです。説得力が違いますね。また、自分の教育像に良い物が加わりました。 ありがとうございました。
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たけなわ
4/6 0:54
理系でもなければ、数学Ⅲすら学んだことのない身ですが、そう仰っていただいて幸甚の至りでございます。本文では「むりやりに」と書きましたが、細かな数学上の知識を得ることよりも、問題解決の糸口を見つける過程としての数学的なものの考え方を身につけることのほうが重要であるとは、実際もそう思っています。しかしながら、私自身、高校時代は、単に数学の問題を解くことが受験勉強の中でいちばん面白かったからという単純な理由で数学の勉強に取り組んでいただけなので、「回答者の経験をもとに」ということで、あえて本文のような構成で書かせていただいた次第です。余談ですが、相談文のうち、何かを成し遂げるための踏み台・手段としての学問ではなく、それ自体が目的である純粋な学問の面白さや楽しさを実感できたら良いなという「綺麗事」には、私も強く共感しました。いつか、本当に学問をするということの楽しさを感じてみたいですね。具体的な進路は知りませんが、これからもその数学に対する愛情をもって頑張ってください。

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素朴な疑問
初めまして。 大学数学を理解していないと解けない問題とはどんな問題を指しているのでしょうか?私は受験生時代東北大の数学も13年分ほど解きましたが、そのように感じられる問題はなかった記憶です。 もちろん数3では高校範囲だと証明できないものがあります(中間値の定理等)。また、例えば「x>0のとき、不等式sinx>x-x^3/6を示せ」という問題であれば、不等式の右辺はどこから出てきたのだろうと思うことはあるかもしれません。 ですが総じて大学範囲を理解しなければならないことは問題にするほど多くないと思います。 私自身はこれまで数学にかなり没頭してきましたが、高校範囲で「受験勉強」として取り組んだ内容は無駄になったとは感じていません。少なくとも現在学んでいる微分積分学は数3をもっと厳密に、拡張したような話が多いですし、線形代数学は行列という新しい分野ですが、ところどころベクトルのときに学んだことが役立っているように感じます。 ですが、質問者様のように受験がそういったゲームのようになっているというのも分かります。昔中国では科挙という試験が実施されていましたが、その試験では漢詩を始めとした非常に多くのことを暗記して挑む試験でした。そして、その試験にさえ合格すれば将来は安泰どころか裕福に暮らせたようです。 現行の受験制度もある種そうなっているのでは無いでしょうか。ハッキリ言えば、高校生の勉強の受験ぐらいで上手くいかない人は「学問の学ぶ姿勢」を追求したところで自信で学び切ることは出来ないという根本的な考えがあるのだと思います。当然高校の勉強は出来なかったけど天才的な研究や発見をする人もいるのかもしれませんが、母数として多くないのは明白でしょう。 「たくさんの科目に手を出していることで、学問の本質を見失っている」という指摘については、私の意見としては「まだその指摘をするには早い」という感じですね。もちろん私がその指摘をするにもまだ早いです。大袈裟に言えば我々が寿命を迎えるときにはじめて「あの勉強はいらなかった」と思うことが出来ます。 結局この教育の根幹を作った人たちは、「幅広く学ばせて、どれかが当たればいいな」みたいな発想なのでしょう。 回答作成中に思ったことですが、数学より理科(物理、化学)の方が大学範囲を黙認することが多いですね。解く上で黙認すると言うよりは、その定義自体に黙認があったり。そもそも高校で学ぶ特に理系科目というのは、非常に限られた都合のいい場合のみ扱います。数学の条件付き極値問題であれば三角関数を使ったり線形計画法を使って上手く解けるような変数の次数になっていたり、物理の公式であればその厳密な証明が大学範囲の微分積分だったり、化学では条件が綺麗すぎたり。 学問というのは具体から始まると考えています。例えば物理学の、ニュートンの運動方程式は実験事実です。つまり実験(具体)を通して一般的に正しい(抽象)とされました。数学であれば、有名なフェルマーの最終定理がありますが、あの問題は初めからn一般について示された訳ではなく、まずはn=3,4,5と示されたのです。化学でいえば、周期表は具体→抽象の一例ではないでしょうか。 そういう観点で高校の学習を振り返ってみると、限られた場合にしか出来ないような解法、考え方であっても、今後「学問」を修めるにあたって抽象化するときに役に立つことでしょう。 以上。少々まとまりがない形になってしまい申し訳ありません。このような疑問をもてる質問者様は素晴らしいと思います。もしかしたら何かやりたい研究等があるのでしょうか。であれば私と同じですね。是非受験をパスしてやりたい学問に取り組み、貢献して欲しいですね。頑張ってください。応援しています。
北海道大学総合教育部 ちる
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モチベーション
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塾でとるべき科目
 以下、私の意見です。参考にはしても、鵜呑みにはしないでください。  結論としては、選択肢2を選びます。根拠は以下の通りです。 ①まず、名大数学は他と比べて特殊です。3題構成で90分という余裕ある時間設定がなされていますが、それすなわち一つ一つの問題の難易度がそれだけ高いということです。加えて、数学は答えや途中式の整合性に加えて、記述部分における日本語の使い方によっても採点者に伝わる意味が大きく異なるので、減点材料となる要素が多いです。なので、ただでさえ全統共通テスト模試レベルでも数学が苦手な人が、参考書を使った独学で名大レベルまで持っていくというのはかなりハードです。 ②それに対して、英語や国語は、文章が正しく読めれば自然得点につながることの多い科目です。加えて、どこの大学の問題でもだいたいは同じような形式の問題が出され、あまり奇を衒った問題は出されにくいです。なので、単語帳や文法帳その他必要な参考書等を正しいやり方でやり込めば、ほとんど誰でも一定レベル以上の成長を期待できます。 ③文系は数学の良し悪しで合否に大きく影響します。なぜなら、英国はできて当たり前というと語弊がありますが、とにかく英国は多くの文系受験生にとっては攻めではなく守りの科目です。それが難関大レベルとなると、守りのレベルも当然高くなります。すると、いくら英国で攻めようと思っても、周りのレベルが高くてあまり差がつかないということが起こります。したがって、残された数学で攻められるかどうかが、ライバルとの差がつくかどうかを左右するのです。 ④①,②,③より、予算が限られていて、かつ数学が苦手であるという現状がある以上、取るべき講座は数学です。 ⑤しかし、上記の通り、名大数学は特殊ですから、いくら基礎の内容ばかりやっても仕方ありません。数学の学力を向上させるに重要なのは、基礎と応用の「往復」であり、入試レベルの応用問題を解くことによってこそはじめて基礎の定着が進むと私は思います。なので、基礎問題精講に取り組んでいるのに、それと同レベルの講座をわざわざ取るというのは極めて勿体ないです。それよりも、自力では身につけにくい発展的な思考を学ぶためにもう1,2段階上の講座を取って、一方では基礎問題精講を使って基礎を固め、一方では応用問題の講座を受講し、その往復を繰り返した方が断然良いです。 ⑥したがって、レベル3の講座より、レベル4の講座を取るほうが望ましいと考えます。
北海道大学法学部 たけなわ
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国立文系志望 高3 今まで何もしてなかった
受験勉強お疲れ様です!そうですね、たしかに今から頑張るにはかなりの努力が必要です。しかし必ず点数が伸びると思います。まず共通テストですが、伸ばすべきは、今1番低い数学、国語、理科基礎になります。そりゃこの3つだろうと言われるかもしれませんが、この三つを挙げたことにも理由があります。それは国語と理科基礎は今からでも伸びるからです。 まず理科基礎から説明しますと、理科基礎はシンプルに理解しなくてはいけない量が他の科目と比べてだいぶ少ないと思います。そのため今からでも十分理解できるようになりますし、暗記していくだけで、8割は取れるようになります。本屋などに行って、参考書の欄を見てみてください。理科基礎だけ問題集の厚みが明らかに薄いです。量が少ない=点数が取れるというわけではありませんが、それでも勉強のしやすさと努力量がすぐ見える度でいうとダントツ理科基礎が1番です。努力をし出して1番最初に躓くのは点数が伸びない時ですが、理科基礎は割とすぐ伸びるので自分へのご褒美にもなります。 次は国語ですがまず古典、漢文は理科基礎と同じ理由で伸びやすいと思います。つまり覚える量が他の科目よりかなり少ないのです。具体的に言えば330単語ほど古典は覚えればいいですし、漢文を共通テストレベルで使われる用法はかなり少ないです。そのためそれらの問題を解くための基盤となる部分をまず覚えてください。そしてそのうえで、問題も解くようにしましょう。年内に覚えることができるのなら理想となります。 覚えつつ、演習をすることで身につきますし、自分なりの解き方がわかるようになってくると思います。また、現代文に関してですが、現代文は日本語です。つまり演習するしかないです。1日1長文のイメージで解いていってください(もちろん共通テストレベル)やり続けることで必ず成果は出ます。 最後に数学ですが、多分貴方様の点数の場合は教科書をまず完璧にした方がいいと思います。そのため教科書を章ごとに毎日一日一章(多い章ex二次関数等は2日に一章)やっていってみてください。教科書の例題が全てわかるようになるとかなり点数にも差が出ていくと思います。 これは個人的な意見ですが、共通テストまでは共通テストに尽力していいと思います。そのため、共通テストでいい点数が取れるための勉強を今からテストまでしていきましょう。 私が今するべきだと言ったことを全てすることはかなり大変だと思います。しかし、やり切ることができたら必ず点数は伸びますし、基礎力はかなりついていると思います。基礎力がつけば国立受験も怖くないです。 泣きたくなるぐらい苦しい夜もありますし、絶対受かりたいと思いながら今は頑張っていると思います。その努力は必ず報われます。大学生活は楽しいですし、受験勉強は今では思い出になっています。第一志望に落ちた僕がいうから、きっとみんな思い出になってると思います笑 絶対報われるから最後の最後まで頑張ってください。応援しています。
慶應義塾大学法学部 くう
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私大志望 数学大大大嫌い
受験で数学を使わないなら全くやらなくてもいいと思います(笑)私は私立文系コースだったので高3は数学をやりませんでしたが、Luuuさんの学校はしなければならないのですね、やってるだけで私からすると本当にすごいです…… 私も数学が大嫌いでいつも足を引っ張っていました。数学の勉強をすることで英語の勉強の時間が削られ、しかも数学はやってもあまりいい点は取れなかったので、どの教科も点数が悪いという悪循環に陥っていました。私立文系コースになって数学がなくなるとほかの科目に時間を割くことが出来、成績がぐっと上がりました。全くやらないというのは厳しいかもしれませんが、受験に使わない科目をやるのはもったいないです、程々にやるのがいいと思います……。英語と日本史頑張りましょう!
早稲田大学文化構想学部 ライ
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名古屋大学文系 夏休み 最低限やるべきこと
まず、質問者さんの方針はあってます。学校の進路の先生方が英語→国社と言っているそうですが、英語→数学、国語(特に古文)→社会で良いです。受験の合否(文系)を分けるのは結局英数です。国社は受験の合否を分けることはほぼありません。(なぜなら皆程々にできて差がつかないから)旧帝大レベルを目指すなら、まずは英語を固めましょう。具体的には、英単語の学習にはかなり時間を割いてください。(夏休みなら1日1時間強割いても良い)その単語の意味、その単語を使った熟語、典型的な言い回し、相性の良い前置詞、などを例文を通して覚えてください。次に英文解釈を重視してください。質問者さんが英文解釈を意識してこなかった人なら、英文解釈の技術100をやることをおすすめします。大変素晴らしい参考書なので単語と、ある程度の文法が頭の中に入っていたらわかると思います。重要なのは、完璧になってからやろうという思考法はダメです。単語を完璧にしたら、解釈をやろう。解釈を完璧にしたら長文をやろう。このような思考法は落ちる人の思考法です。わからなくても良いからとにかく先へ先へ進むことを厭わないでください。先に進めば自ずとやるべきとこは見えてきます。英作文は、竹岡先生の面白いほど書ける英作文がおすすめです。 数学は、質問者さんは苦手だということで、とにかく基本問題を解けるようになるところから始めましょう。基礎問題精講をある程度何も見ずに解けるようになることをまず目標にしてください。必ず苦手な分野も手をつけるように。全分野それができれば、逆転合格も夢じゃないと思います。初めは書いてあることが理解できなくても構いません。解答を写し、考えてください。(この時必ず解答を写すこと。書き写すことに意味があります。ボーッと見てるだけじゃ何も頭は働きません。)ある程度考えても理解できなければその時だけは暗記してもらって構いません。暗記→理解となることもあります。(もちろん理解→自然に覚える が1番良い) もし夏中に基礎問題精講の問題がある程度できるようになったら、青チャートの星3.4.5の問題を抽出して解いていってください。ある程度できるようになってると思います。(同じように、わからなければ解答を考えながら写す。写しながら解答を理解しようと努めること。とにかく頭を働かせて!) それも終わればいよいよ過去問です。ひたすら過去問を解いていってください。上の行程ができれば必ず数学は名古屋大学のレベルに達します。頑張ってください。 国語は、基本的にはよほど苦手じゃない限りはそこまで勉強時間を割く必要はないと思います。国語に割くくらいなら英語に割いたほうが絶対に良い。ただ、古文漢文は外国語的要素も強く、単語、句形など覚えることが多いので、夏中に必ず毎日触れておくこと。現代文は、苦手じゃないならやらなくても良い。(たまにセンター過去問解くくらいで良い)苦手なら、現代文の参考書をやることをお勧めする。個人的には現代文と格闘するを推しています。現代文は、英語、数学どちらかが大きく転けたときにひょっとしたら助けてくれるかもしれない大きな武器となり得る教科です。できるに越したことはないけど、英語、数学に優先するほど重要ではないので、苦手じゃないならやらなくても大丈夫だと思います。 社会は、共通テストだけだと思うので基本的には秋以降に回してもらって良いと思う。時間に余裕があるなら1日1時間ほどやってもいいかもしれないが、余裕がなければ英語、数学に集中しても良い。基本的な勉強法としては、黄色本など(教科書でももちろん良い)を何回も読む→ひたすら問題を解く(センター過去問、共通テストへの道など)のが基本だと思う。かなり骨を折る作業なので夏場からやってると共通テストの武器にはなる。けど僕自身は秋以降から取り組んで満点が取れたので、秋以降でも間に合いはする。ただ、全くやらないのは怖いので、夏の模試前とかにサーっと一周するのはしておこう。 理科基礎も社会と同様。 やること多いけど頑張ってね。応援してます。
東北大学経済学部 かさりりゅうー
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数学を勉強するか
はじめまして。 私立文系に行きたいと決めているなら、先生の意見は無視して英国社を勉強するのが良いかと思います。以下、そう思う根拠をあげていきます。 高校数学は非常に内容が多いです。その数学を勉強すると英国社の勉強に割く時間は減ってしまいますよね。それが原因で国立も私立も共倒れしてしまったら最悪です。 そもそも国立を受けるには数学だけでなくセンターで使う他の科目にも時間をかけなければなりません。ですから私立文系対策はどうしても手薄になります。やはり共倒れのリスクが高まりますね。どうせ数学をやるのであれば、始めから国立に絞る方がよろしいかと思います。 また、その時期の数学の偏差値が52だということは、あなたは他教科に比べて数学がそこまで得意であるというわけではないとお見受けしました。のであれば、なおさらわざわざ今から数学をやる理由はないのかな、と思います。(早稲田文構も立教文も数学じゃ受けられませんしね) というわけで、私立文系に決めているなら数学はやらなくて良い、というか試験で使う3科目に集中してください。先生の意見は無視でOKです。自分の将来に関わる問題を実績が欲しいだけの先生に決定されたくないですよね。私も地方出身なのですが、どうして学校の先生はあんなに国公立を勧めたがるのでしょうか…。 ご参考になりましたら幸いです。
早稲田大学文学部 K
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文系数学
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国公立文系の私立受験科目と夏休み自習室
長文失礼します。 1度神戸大学を目ざしており、数学が苦手で点数が伸びず、北大の2次数学が不要な総合文系に変更した身としての回答です。(おおよその全統模試の偏差値 数学 58,70。共テ本番 153,98) 僕自身もこの時期はとうやさんのように併願としての同志社や立命を数学で受験した方がいいのでは···?と考えていたのですが、塾の先生に猛反対されて止めました。今では数学受験なんてやらなくて良かったと心から思っています。 まず 結論から言うと「日本史が1番苦手科目出ない限り、圧倒的に日本史受験をした方がいい」と考えています。 理由の一つ目としては、現段階ではまだ分からないと思うのですが、関関同立の場合共通テストの対策をこなして、過去問を解いて傾向を探れば私立の日本史で合格点を取ることは簡単です。英語、国語である程度の実力があれば多少失敗しても巻き返しを容易です。 つまり、「二次の対策の中日本史もやって圧倒的に大変」といった労力はないということです。 2つ目の理由は、安定性です。これはよく言われていることですが、数学はギャンブルです。問題が自分に合って解けたらかなり有利に立てますが、その可能性は高くない。一方でミスをする可能性も十分にあるといったハイリスクハイリターンです。 3つめの理由は、正直に言って数学をやりたくない。これに尽きます。とうやさんは数学が苦手ということで僕と考えは近いと考えていますが、苦手な科目をやり続けるのはかなりしんどいです。分からない問題に出会った時に数学は答えの意味がわからないと言ったことがありますが、日本史は間違えたら暗記すればいい、それだけです。気持ちの持ちようですが、シンプルに数学をやりたくなかったです。 4つめの理由は実際のところという観点から見て、私の高校はいわゆる自称進学校ではありますが、全体的にみて私立を数学受験している割合は100人いれば10人程。それも日本史が苦手で、数学は得意か、そこそこの人たちばかりでした(同志社に受かっていた人は数学の偏差値が70でした)。2次で数学がある人も多くは社会受験でした。また、理科が苦手で文転した理系の人も受けていてかなりレベルは高いと思います。 私自身塾の先生に反対された時も、「2次で数学使うなら私立も数学の方が効率いい。今は数学がめっちゃできる訳ではないけど、これから頑張ったら文転してきた人とも戦っていける。数学受験の方が点数取れた場合は圧倒的に有利」と考えていました。多分とうやさんと似たような心境だと思います もし僕がもう一度受験をするとしたら一切の迷いも躊躇も無く日本史で受験します。とうやさんが数学は好きじゃない、点数が伸びない。日本史の方が面白いと少しでも思うようであれば、日本史受験を強くおすすめします。 もちろん個人の自由ですし、まだ時間もあるので10月頃に仕上がってきた段階で過去問を解いて考え直すのもありです。数学が得意であればほんと数学受験は解けたら有利なので頑張ってください! 学習環境については何も問題はありません。友達にそうしている人もいましたし、先生に聞きに行けるので全然大丈夫だと思います! 受験頑張ってください!!!!
北海道大学総合教育部 むらなん
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時間の使い方
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文系だけど数学をやるべきか
私も高校1年のときから早稲田の国際教養を目指していましたが、数学1Aだけはやっていました。理科は完全に捨てていましたが、数学は早稲田以外の他の大学のセンター利用に4教科で受けられる形式があったのでそこで生かすことができました。早稲田はセンター利用で5教科必要なので一般でしか受けられませんでしたが、併願校として数学があったおかげで受けることができたので結果的には勉強してよかったとは思います。ただ、それほど時間はかけずに学校の必要最低限の課題のみやってテスト勉強などは全くしてませんでした。志望校が変わる可能性があるくらいまだしっかりと決まっていないのなら捨てることはリスクがあると思いますが、本当に政経に行きたいと今から思っているなら絞って3教科を極めていくべきだと思います。3教科だからといって勉強時間が短くなってしまいがちですが、捨てるのならその分3教科で結果を出せば学校側も親も認めてくれると思います。第一志望合格に向けて頑張ってください。応援してます。
早稲田大学国際教養学部 mico19
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学校が必要である理由がわかりません
それは私も激しく同感です。 卒業研究だるいですね、、、。もうネットからパクるなりして必要最低限の労力で終わらせましょう! 面接練習に関してですが、なぜ面接使わない人が面接練習やらされるのか意味不明すぎます(笑) ちなみに私の場合だと、英語日本史小論文にしぼっていて、夏休みは読者感想文やその他もろもろどうでもいい宿題が出されましたが一切やりませんでした。先生からは特に何も言われませんでした。(嫌味っぽく、みんなの前で「提出しないやつが1名いますが別にいいです。そういうやつなんだから。」みたいな?もう忘れたけどそんな感じの嫌味を言われたけれども害は無いからどうでもよい!) あと生物とか世界史とか数学も堂々と内職して、赤点とりまくって、追試になって、先生におまけでクリアにしてもらってました。「いや、世界史とか使わないし(怒)」みたいな感じじゃなくて、「エヘヘ」みたいに悪魔で笑顔で先生に接してました。ごますりですね笑 面接練習や卒業研究を無駄だと思うのは本気で慶應を目指してる人にとって当然ですよね。 理不尽なことばっかりで大変だと思うけれども、周りの声なんか関係ないし、周りにどう思われようと、慶應に合格するための勉強をし続けるべきです。面接練習なんてサボればいいんですよ!慶應に合格するんだから!笑 がんばってください!!!!!
慶應義塾大学商学部 hakuyo67
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東工大or東北大、自分に合うのは
 私なりの見解を書かせていただきますね。志望校選択の参考になれば是非。 ⑴ まず、東工大と東北大の最も大きな違いは何かと言うと、前者が単科大学(college)であるのに対し、後者が総合大学(university)であるということです。すなわち、東工大は、ある特定の理系分野の学問を学ぶ意欲のある者たちで構成される一方、東北大は、文理問わずあらゆる分野の学問を学ぶ意欲のある者たちで構成されます。なので、東工大で教育の議論をする場合は、その理系分野における圧倒的に専門的な知見に基づく議論ができますし、東北大で議論する場合は、理系の専門的知見に触れるのはもちろん、文系の専門的知見に基づく議論も期待できます。この点で、触れ合える知見や学問の幅は東北大の方が広いと言えますし、幅は狭くとも限られた分野でのより深い議論については東工大も負けていません。 ⑵ やはり、東北大と東工大では入試問題の難易度の差は歴然です。日本の最難関大学の呼称として、「東京一工」というのがありますが、「工」として東工大がそこに躍り出ているだけあります。また、東工大は共通テストの段階で合否があり、そこで合格した者が二次試験を受けられます(パスナビ調べ)。対して、東北大は共通テスト段階での合否判別は特にありませんが、合否ラインに志願者が同点で並んだ場合、主体性評価チェックリストによる評価が高い志願者を優先的に合格とするそうです(パスナビ調べ)。このように、入試科目は同じでも、合否判別の方式に大きな違いがあります。とくに共通テストにおける「足切り」の存在はかなりデカいです。 ⑶ 難関大の後期日程は、倍率が恐ろしく高いです。東北大で言うと、前期日程の倍率がせいぜい2.5〜3.0倍くらいであるのに対し、後期日程の倍率は2020年で6.0倍、2021年で13.8倍と、競争者数が比にならないくらい多いです。また、北大も後期日程がありますが、このような北大あるいは東北大の後期日程を受けるのは、東大や京大などの最難関大学を前期に受けている者ばかりです。そんな強者たちと、通常の倍率で争うのも厳しい戦いを強いられるのに、その何倍もの倍率で争うのは、考えただけでも身の毛がよだちます。 ⑷ 最後に、何かの参考になるかは分かりませんが、私の、法学部生としての学校教育に関する見解を述べておこうと思います。  「社会あれば法あり」とは、古くから言われてきた諺です。では、社会とは何かというと、「家族や帰属する組織・団体などを単位として生活を営む人びとの集団」(新明解国語辞典第七版)です。法とは何かというと、社会規範、すなわち社会生活の秩序を保つために人々の行動を規律する規則の一種です(法と法律は混同しやすいですが、法律は法の一種であり、法律=法ではあっても法=法律では必ずしもありません)。すなわち、学校というのも一つの社会であり、そこにある規則、すなわち校則というのも一つの法であると言えましょう。  それは、国家社会という一つの社会があり、法律や条例をはじめ色んな法によってそれが規律されているという、最も大きいレベルの社会生活が、学校という小さいレベルに縮小されて投影されているものと見ることができます。したがって、学校の存在意義とは、そういった、一定の法の下で生活を営むという社会生活の能力を涵養することにあると私は考えます。だからこそ、家庭科、保健科、体育科という科目のほか現代社会科目などや部活動があるのであり、入試科目の勉強はそのほんの一部にすぎません。例えば、同年代の人たちとの対等なコミュニティの形成、その中での他者との触れ合いを通して、人への接し方を学ぶということは学校無くして独学でするのは極めて難しいでしょう。このように、図らずも学校教育から享受している恩恵というのは、我々が意識している以上に大きいものです。  ところで、余談ですが、学校社会における法としてブラック校則があるならば、それはいわゆる「悪法」ということができるでしょう。このような「悪法に従うことは悪なのか」とは、法哲学における最も大きなテーマの一つです。これについて考えるには、そもそも「法とは何か」、「悪とは何か」といったことから考えなければなりません。また、H・ケルゼンは「法段階説」といって、法として成文される以前にある根本規範があり、高度に一般的な憲法がそれに従い、またその憲法からより具体的な法律へ、さらにそこから個別的な命令、判決、行政処分へと授権がなされ、その授権関係により法体系が統一されるといいます。ブラック校則が、それより前の段階の法にちゃんと従っているのか、そういったことを考える必要性も十分にありますね。ブラック校則についての問題は依然難しいものです。  昨今、文部科学省の動向や公立学校の教師の問題などがよく注目され、学校教育について考えさせられることの多い世の中です。教師間のいじめなどにも見られるように、教育者として成熟した大人であるべきはずの人間が、もう一度教育されなければならぬほど未熟で幼稚な者であるという悲惨な現状もあります。子どもが子どもを教育しているのです。あなたほどの教師に対する志を持った方はそう多くはおられないでしょう。今の学校教育の腐った一部を改善するには、あなたのように教育者になる大志をもった方が必要なのかもしれません。きっと素晴らしい教育者になるだろうことを祈っています。
北海道大学法学部 たけなわ
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受験校選び
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