勉強法の考え方
UniLink利用者の80%以上は、難関大学を志望する受験生です。これまでのデータから、偏差値の高いユーザーほど毎日UniLinkアプリを起動することが分かっています。
だひょ
今、志望校までの道のりを遠く感じており、少しでも効率よく勉強がしたいと考えているのですが、勉強法を調べてみても人によって勉強法は違うので自分に合った勉強法を探しましょう!とばかり書いています。それでは分からないので、勉強法はどういうプロセスで確立されたいったかを教えてください。
回答
たけなわ
すべての回答者は、学生証などを使用してUniLinkによって審査された東大・京大・慶應・早稲田・一橋・東工大・旧帝大のいずれかに所属する現役難関大生です。加えて、実際の回答をUniLinkが確認して一定の水準をクリアした合格者だけが登録できる仕組みとなっています。
勉強意欲という観点で言えば、受動的な勉強よりも能動的な勉強の方が遥かに能率の良いことは理解するに難くないでしょう。自分でしたいと思って勉強する方が、させられるよりも良いですよね。そりゃあそうです。
勉強法というものを考えるにあたってもこれは同じであって、すなわち、日々の勉強からいかに義務性を取り除くかが、勉強法の確立にあたって基礎になってきます。「〜勉強法がいい」や「頭のいい人がやっている○○勉強法」などといった、自分ではない誰かから発信された勉強法に愚直に従うというのも全然悪くありません。しかし、どういったことが自分に合うかということは、自分自身にしかわからぬことであり、となればその他人発信の勉強法も、自分にがっちり合うものなければどこかでそれに義務感を覚えてしまいます。「やらされている感」あるいは「やらなければならない感」というものですね。それでは勉強の能動性が失われてしまいます。『「自分に合った勉強法を探しましょう!」とばかり書いてある』のはそのためです。そうならぬためには、やはり自分で改良するということが必要になってきましょう。
簡単な例を挙げましょう。有名な勉強法として、東大主席の山口真由氏の標榜する「七回読み勉強法」というものがあります。これをやろうとすれば、まぁ同じ本を7回読むことになるわけですが、本来内容によって理解の程度はバラバラであるはずで、7回読んでも理解できないところもあれば、2,3回程度で理解できるところも当然あるでしょう。しかし、愚直に「七回読み勉強法」に従うとすれば、そんなものは無視してとにかく方法に従い七回読むことに徹しなければならないことになります。「ここは理解できているのに」と思っても、そこをまた読まなければならない。先ほど提示した「義務感」「義務性」「受動性」というものがここで出てきます。すると、これをできるだけ排除できるような工夫を考えれば良いわけです。例えば、ある内容について理解できた時点でそこに印をつけ、以降はその印のついていない部分のみを読み、全ての内容に印がつくまでこれを繰り返すようにする。場合によっては七回未満で終わったり七回より多く読んだりするでしょうが、これも立派な改良です。(因みに私は数学の問題集をこのやり方でやりました。まず一周解いて、正しく解けた問題に印をつけ、以降は印のついていない問題だけを、全ての問題に印がつくまで周回しました。)
このように、きっかけは他者発信の勉強法でも、実践するにあたっては自分に合うように改良に改良を重ねることで、自然自分なりの勉強法は確立していきます。何をどうすべきかも大事ですが、自分がそれをどうしたいかも大事です。勉強法を調べて、その中の一つをやってみた時、「ここはなんか違うな」といった点があれば、そこを「自分はどのようにしたいか」と考えて改良していきましょう。「自分に合う」ということはそういうことです。是非ご自身と何度も話し合ってみてくださいね。
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