承久の乱について
UniLink利用者の80%以上は、難関大学を志望する受験生です。これまでのデータから、偏差値の高いユーザーほど毎日UniLinkアプリを起動することが分かっています。
mnt13
承久の乱後、仲恭天皇が廃され、後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇の3人がそれぞれ流罪となりましたが、上皇って何人もいるものなのですか?
回答
こばり
すべての回答者は、学生証などを使用してUniLinkによって審査された東大・京大・慶應・早稲田・一橋・東工大・旧帝大のいずれかに所属する現役難関大生です。加えて、実際の回答をUniLinkが確認して一定の水準をクリアした合格者だけが登録できる仕組みとなっています。
「上皇が天皇に退位を強制する」場合にはありえます。
天皇が生前に退位すれば上皇となりますが、基本的には権力を持っていません(例:醍醐天皇・藤原時平による菅原道真左遷を阻止できなかった宇多上皇)
しかし、白河天皇が上皇となり、院政を開始すると事態が変わります。上皇が院庁と院近臣をもち、院宣によって天皇を凌ぐ権力を持ち始めます。上皇からすれば天皇が成人して自分で政治をやるようになると天皇が邪魔になります。そこで息子(、もしくは孫)に「そろそろ息子に位を譲ってはどうか?」と聞くわけです。逆らえるわけもありませんので、天皇が退位して別の上皇になります。しかし、実際に院政を行って権力を握れる上皇は1人だけ。これが「治天の君」です。(この場合は後鳥羽上皇です。)
実際、後白河天皇の治世の初期には鳥羽上皇と崇徳上皇(鳥羽上皇の死後、保元の乱で敗北)がいますので、上皇が複数人いるというのは無い話ではありません。
質問にちゃんとお答えできてるでしょうか?
応援しています!
コメント(1)
mnt13
とても具体的でわかりやすい説明でした!ありがとうございます😭