書いてあるじゃん
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なむ
自分は現代文(特に評論)が苦手で、得意な友達(早稲田商学部志望)にどのように解いているのか聞いたところ「え…だって答え書いてあるじゃん」とぐうの音も出ないことを言われました
その人はあまり勉強してなく、だいぶセンスで解いているようです。それはどのような感覚なのでしょうか。私はそこにたどり着けないのでしょうか
私の苦手な点として、読み進めると筆者が何を言いたいのかわからなくなってしまい、「筆者は○○と書いているが、これはどういうことか。」みたいな設問が苦手です。
回答
たけなわ
すべての回答者は、学生証などを使用してUniLinkによって審査された東大・京大・慶應・早稲田・一橋・東工大・旧帝大のいずれかに所属する現役難関大生です。加えて、実際の回答をUniLinkが確認して一定の水準をクリアした合格者だけが登録できる仕組みとなっています。
筆者の主張を判別するために意識すべき点についていくつか書こうと思います。
①断定的な表現について
例えば、「勉強において有酸素運動がもたらす恩恵は大きい。」という文と、「勉強において有酸素運動がもたらす恩恵は大きいのである。」という文では、後者の方がより断定的な表現です。断定的な表現は、それだけその分の内容に強みを持たせる働きがあり、文章の書き手からすれば、自分が読者に伝えたい内容ほど、無意識にそれを強めるべく断定的な表現を使ってしまいます。私も実際、大学でレポート課題を何度も課されては書いてきましたが、最も伝えたい結論部分などは無意識に断定的な表現を使ってしまいます。なので、「~なのである」「~のである」「~なのだ」といった、断定的な表現があったら、筆者の主張はここではないかと疑ってみましょう。
②接続詞について
例えば、(A)「朝食を食べることによって、外部からの刺激を受け、目が覚める」、(B)「一日三食をちゃんと食べることが健康維持には大事である」、(C)「咀嚼は一定のリズムで体を動かすリズム運動のうち最も手軽なもので、これにより、脳内にセロトニンが分泌され、目覚めも良くなり頭もすっきりする」という3つの文章があったとします。これだけでは、どの文も重要性においては同じで、このうち筆者が最も言いたいことは何かということは判別がつきません。しかし、この後に(D)「したがって、朝食は毎朝食べるべきである」と続いた場合はどうでしょうか。「したがって」という因果関係を表す接続詞があることによって、たちまち(A)、(B)、(C)はいずれも(D)を導くための布石に過ぎないことになります。実際の評論文では、例えば(A)という一つの根拠を書くためにも、具体例やさらに(A)自体を導くための根拠などを示し、一つあるいは複数の段落を丸々使って書かれることも多々あります。なので、その情報の重要度や文章全体における役割がなんであるかを意識して読まないと、長い文章に当たった時ほど筆者の主張を見落としやすくなります。これを防ぐために、文と文との間の接続詞に注目し、両者の関係、そして文章全体の構造に常に焦点を当てることを心がけましょう。このほかにも、「要するに」「つまり」など、それ以前の内容をまとめるはたらきの接続詞にも注意しましょう。長い文章ほど、筆者自身が所々で何を言いたいのかをまとめてくれることには大変ありがたく感じます。
③逆接の接続詞には特に注意
以下の二つを比べてみましょう。
(a)「彼は秀才だが、運動はからきしだめだ。」
(b)「彼は運動はからきしだめだが、秀才だ。」
「彼は秀才だ」という情報と、「彼は運動はからきしだめだ」という情報の伝わる強度が、(a)では後者の方が強く、(b)では逆に前者の方が強く感じると思います。このように、読者にとって逆接の後の情報はそれより前の情報よりも強く伝わります。この性質を利用して、筆者は自分が伝えたい情報を逆接の後にもって来たり、「もちろん~である」と反対意見に譲歩したうえで、「しかし~」と逆接を使って自分の主張を強めたり(譲歩逆接構文)する工夫をします。なので、逆接の接続詞が来たら、その後に書かれている内容にはより一層の注意を払いましょう。
余談ですが、このように、情報に順序をつけることによって、その伝わる強度に違いをもたせる表現の技巧を、香西秀信さんは『レトリック探究法』内の「事実は『配列』されているか?」において、「順序のレトリック」と称して細かく説明されています。興味のある方は読んでみると面白いかもしれませんね。
④本文の構造について(主に統括のしかた)
筆者の主張とその根拠が、「(主張)なぜなら、~(根拠)」と書かれるか、「(根拠)したがって~(主張)」と書かれるのかといった違いです。例えば一つの段落があった時に、段落の冒頭で主張が述べられる場合と、段落の末尾で主張が述べられる場合があります。どこに主張があるかで、さっきまで読んでいた内容が何の役割をもっているのかわからなくなる時があります。なので、その文章、その段落において、主張がどこに書かれているのか、すなわち、ひとつの大きな内容についてどこで統括が行われているのかを常に把握するよう努めることが、文章を読むに当たり重要になってきます。
以上の4点だけでも意識するだけでかなり変わると思います。これら以外にも、評論文を読むために意識すべきことはたくさんあります。上で挙げた点を含め、そのほかの点については、『現代文標準問題精講』(旺文社)に勝る参考書はないと思います。この参考書は、評論文の比重が圧倒的に重いですが、評論文を読むのが苦手だったり、評論文を読む力を極めたいという人には最強の参考書だと個人的には評価しています。私が受験生時代に使った参考書のうち、一番好きな参考書です。参考書を選ぶ際の参考にぜひ。
最後に、センスで点が取れる人は、幼少期から多くの本を読んでいたりして、その圧倒的な経験による慣れの産物なのか、無意識に重要な部分とそうでない部分が判別できてしまうという人がほとんどだと思います(私の周りではそうでした)。しかし、自分の中でちゃんと根拠をもって情報の重要度を判別できないと、自分がどのように文章を読んでいたのかが自分自身でわからないので、スランプに陥るなどしたときにそこからなかなか復帰できないことがしばしばです。そのため、センスに頼って問題を解くのは、それで満足に点が取れているうちはまだいいとしても、その実かなりのリスクを負っているとも言えます。なので、センスを磨くのではなく、実力を磨くことに重点を置くべきであると私は思います。
コメント(3)
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回答ありがとうございます。一気にすらすらと読めてしまいました。目から鱗です
1つ質問で、文中に紹介されていた標準問題精講を使う場合、その前に基礎問を挟もうと思いますが基礎問の方は問題の質等どんな感じでしょうか
たけなわ
ごめんなさい🙇♂️ 基礎問はやったことないので、ネットで試し読みした限りでの評価になります。それでも参考になれば幸いです。
基礎問は標問よりも問題数が少ない(基礎問24題に対し標問40題)ですが、標問は文章の読み方や背景知識などについての解説は右に出るものがない反面、欠点として、個別の問題に対する解説が簡潔すぎる(一題あたり別冊の解説見開き1ページ程度しかない)ため、演習しても腑に落ちないというところがかなりありました。その点、基礎問は個別の問題についての解説が手厚く、また解答作成のために意識すべきポイント等については基礎問の方がその力をつけやすいと思います。なので、標問の前に基礎問をはさむという判断は英断だと思います。
また、本題の問題の質に関しては、どちらも基本的に入試問題をベースに作られた問題が中心なので、あまり差はないと思います。著者オリジナルの問題もありますが、どちらの著書もプロ中のプロ(標問の著者神田先生は開成高校の教諭で、作家。基礎問の著者長谷川先生は私立高校に勤務の後、駿台はじめ塾及び予備校講師)なので、問題の質に大きな差が生まれるとは考えにくいです。どちらも最上質な問題が出されていると思います。
評論文に関しては、基礎問と標問のシリーズ一貫のルートでも、それだけでかなり完成に近づけると思うので、頑張ってください(文学作品については、どちらも評論文の比重が圧倒的に大きいので、別途対策が必要になる可能性あり)。
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やったことなかったのですね。わざわざありがとうございます😊
とても参考になりました!