いわゆる「一般的な」模試を受ける意義
頑張って、反論してみました。反論できているかは知りません。これまでコツコツとやってきた人であれば、高3のこの時期からは最終確認的な演習に踏み込んでいることも考えられないではないでしょう。その場合は、ご友人のご意見にもある程度は正当性が認められるのではないかと思います。なので、以下の反論は、大層なものとして見るではなく、あくまで「反論するとしたら」ということで、よろしくお願いいたします。
① オープン模試がある大学となると最上位の難関大学志望ということになるのでしょうか。今後どう転んでもその大学を受けるつもりならば格別、そうでない場合(たとえば、万一のミスで共通テストで足切りを超えられなかったなど)、受験校を決定するにあたっては何を基準にするのでしょうか。「自分の立ち位置を知る」ことが模試の意義の一つなのであれば、オープン模試よりも母集団の規模が大きい「一般的な模試」を受けることによって、全国規模での自分の立ち位置を知ることにも一定の意義が認められて然るべきです。とくに、「共通テストリサーチ」といって、自己採点の結果を河合塾に送付して、10月くらいにやった全統模試の結果を合わせて総合的な判定を出してくれるサービスがあります。実際の受験校の決定は、これを利用して行うのが一般的です。そのため、先述のような、受験校を変えざるを得なくなったときには、過去問及びオープン模試だけしか受けていない場合、受験校の決定にあたっては、第三者による客観的な評価なくして完全に自己評価に頼らざるを得なくなってしまいます。それで果たして適切に受験校の選択ができるでしょうか?
② 模試の意義の一つとして「自分の弱点」を知ることを挙げるならば、むしろ模試は(一定の限度はあれど)多く受けた方がいいという主張でないと一貫しないような気がします。なぜなら、模試を受ければそれだけ自分の弱点を多く知ることができると考えられるからです。それから、「自分の弱点」というのは、「点が取れない分野」だけを意味するのではありません。初見の問題に適切に対応できるかどうか、時間配分をうまく設定できるかどうか、試験という環境でパニックにならないで済むかどうか、計算ミスなどのケアレスミスをせずに済むかどうかなど、こういったことも「自分の弱点」というべきでしょう。これらは、試験という環境でこそ現れるものであって、過去問演習などで練習することは難しいでしょう。やはり実際に何度も模試を受け、反省を繰り返すことで練習を積んでいくしかないと思います。であれば、模試を受ける回数は少なすぎてはいけないでしょう。そういう意味でも、やはりオープン模試等に加えて「一般的な模試」をも受けた方がいいというのが、主張としては一貫しているのではないでしょうか。東大、京大、一橋大あたりであればオープン模試と実戦模試が8月と11月で2回ずつ(計4回)ありますが、各季節での受験日時の近さを考慮すれば、実質的な反省は夏と秋で1回ずつしかできないかもしれません。果たして、そんな少ない回数での練習で、本番に適切に対応できる体制を整えることはできるでしょうか?
③ 模試を受ける意義は、ご指摘の3点に限られないと思います。すなわち、模試を受けることにはもう一つ、学習計画を立てる目安になるという意義があると思います。「この模試までにはこれをできるようになっておこう」、「その次の模試までにはこれをできるようになっておこう」といった目安として機能するばかりか、模試では点数や偏差値等の結果をはじめの第三者による自己に対する評価もついてくるので、計画を実行するインセンティブを受験生に与えます。そうであれば、オープン模試や実戦模試だけを受けるのでは、間隔が開きすぎている上に2回(合計すれば4回ですが、受験日時の近さゆえに目安としての機能は2回しか果たさないでしょう)と回数が少ないので、目安とするには不十分ではないかと疑問符をつけざるを得ません。やはり一般的な模試も定期的に受けて計画の目安とする上で、オープン模試や実戦模試を中でも一際大きなチェックポイントとして扱うのが、より理想的なのではないかと思います。